うんこが面白い理由

 うんこってのは子供の時はもちろん大人になっても面白い。なんであんなに面白いんだろうと誰もが疑問に思ってるけど、最近、松本人志が「笑いにはいじめ的な要素がある」とかなんとか言ってるのを聞いてわかった気がする。

 ここで言ってるいじめ的な要素というのは相手の欠点を馬鹿にしたり失敗を笑ったりみたいなそういうことなんだけど、このいじめ的な要素の最たるものがうんこだと思う。どういう事かというと、うんこってのは臭いし汚いし気持ち悪いしもう欠点のカタマリだ。これはもう馬鹿にしてくれと言ってるようなもんで、いじらざるを得ない。つまりうんこが面白いのは究極の欠点のカタマリだからで、それを馬鹿にして面白くないわけがないんだ。

 ここで、なんでうんこは嫌われてしまうん?と疑問に思う女の子もいるかもしれない。なんでかって言うと排泄物というのは元々不要なものとして体外に出されたもので、そんな不要なモノを好いてまた食べられでもされては困るということで、神様が本能的にうんこを嫌うように設定したからだと思う。

 もしかしたらその本能を作ったからから笑いというものは生まれたのかもしれないな。その本能を作るために笑いというものを作ったというか。だから本能のままに生きている子供の方がうんこを面白いと感じるんだと思う。ということはもっと本能に忠実な他の動物も笑いがわかるのかな?

 猫。猫はしつけないでもちゃんと設置したトイレでうんこをするように、うんこを差別して扱ってるから意外と笑いがわかってるのかも。じゃあ犬は?あいつらはうんこの付いた肛門を嗅ぎ合うしダメだな。ウサギなんかは問題外。あいつらは自分のうんこを食べたりするからね、全然笑いわかってないわ。そうなるとフンコロガシなんかは一番笑いがわかってない。うんこを転がすことを人生の目的としてるからね。

 でもうんこを好きだってのは悪いことじゃないよ、むしろ良いことだ。もしうんこを嫌う本能からいじめ的なものが生まれているなら、うんこを嫌う本能がなくうんこが好きな人は優しくすべてのものを愛せる人間に違いないから。

 長々とわかりにくい文章を書いたけど今日言いたかったのはただ一つ。もしオバマがスカトロプレイ好きなら世界は平和になるということだ。